変わるもの、変わらないもの

始まりは1900年

1900年当時の帝国議会での議論を記録した議事録 (出典:第14回帝国議会衆議院本会議 第12号)

商業学校から大学へ

1949年の改組により神戸大学となった直後の正門表札

神戸大学の前身である「神戸高等商業学校」は、東京に次いで日本で2番目となる官立商業高等学校として1902年に設立されました。設立にあたっては関西の大都市大阪を設置場所とする案もあり、議会での論争になりました。最終的には、当時既に国際貿易の拠点であった神戸を推す声もあり、設置場所を大阪とする案を一票差で否決、結果神戸に設置されることとなりました。

その後戦後には総合大学となり、2022年に120周年を迎えることになりました。このページでは、120年前から遡り、当時の学生やキャンパスの様子を今の様子とともに紹介します。変わるもの、変わらないもの、様々なことがありますが、経済学部、経済学研究科、通称「神大経済」のアイデンティを見出すことができるでしょう。

経済学教育・研究の拠点として

1931年ヨーゼフ・シュンペーター博士の特別講演や博士審査、学会開催などを伝える記事の切り抜き(凌霜50周年)
2011年、ベンジャミンフリードマンハーバード大学教授ご夫妻と三木谷良一神戸大学名誉教授、宮尾龍蔵教授の夕食会

神戸高等商業学校は経済経営分野の拠点として、当初から日本経済の近代化や国際貿易促進を担う人材の輩出が期待される教育機関でした。多くの財界人を輩出するほか、学術交流や雑誌の編纂、教科書の作成など、日本における経済学の黎明期に大きな役割を果たしました。

国際交流も活発で、ノーベル賞受賞者であるシュンペーター博士も1931年に訪問され、当時の学生新聞に取り上げられています(写真左)。今でも神大経済は国内有数の経済学教育研究の拠点として多くの卒業生を輩出、研究活動や国際交流も活発におこなっています。

キャンパスの発展と学生生活

1955年の六甲台地区。まだ付近には山肌が多い。左上にキャンパスに沿う形で並ぶ二階建ての家屋は米軍である。

当初は神戸の市街地(葺合)にあったキャンパスも手狭になり、1934年に今の六甲台にキャンパスを移しました。このキャンパスは山の上にあり、そこから見える市街地の風景は多くの学生の心に残るものです。また、講堂や経済学部の本館、図書館や兼松記念館など、古くから今もキャンパスライフの中心となるような建物も多くあり、歴史を肌で感じることができるでしょう。このページの背景には、そんな本館の壁タイルをモチーフとしたパターンを使っています。

1967年の六甲台地区。周辺の住宅開発が進行中。キャンパス手前の進駐軍住宅跡地に文理農工学部が移転している。
1983年の六甲台地区。団地などが立ち並ぶ。六甲台にも新しい建物が増える

1967年の空撮写真と1983年の空撮写真を比べると、キャンパスそのものやキャンパス北部の鶴甲団地など、周辺の住宅開発が進んだことがわかります。また、中央下部に見えるのは今の工学部や文学部などがある六甲台第二キャンパスですが、進駐軍が戦後住宅用地と利用し、その返還後に活用された土地でした。

キャンパスの中には、新しい建物ができる一方で、無くなった施設や設備などがあります。理髪店や食堂、図書館のカード目録や暖房用のボイラー煙突など、今はない設備から当時の学生生活を想像してみてはいかがでしょうか。

学生食堂とボイラー用煙突(1954年)
学生集会所 (1965年)
学生食堂跡に立つ法科大学院自習室 (2022)
学生集会場跡に立つアカデミア館(2022)
カード目録(1955年)
正面横門衛所(1975年頃)
図書館2Fカウンター(現在は1Fに移設)
理髪店(1956年頃)

幾多の困難

1973年に発行された同窓会誌「凌霜50周年」に掲載されている教室の様子
女性として最初期に入学した三木谷節子氏(左端)へのインタビュー (2022年撮影)

大学の歴史は人々のさまざまな困難と克服の歴史でもあります。写真からわかるように、設立当時からしばらくは男子学生がほとんどだった時代で、女子学生には多くの苦難があったことでしょう。今では女子学生が3割程度在籍するなど増加傾向にあり、大学としても多様性の尊重などを掲げています。

第二次大戦中、空襲から逃れるために黒く塗られたボイラー用煙突
コロナ禍での卒業式(池澤周平さん、2021年度最優秀卒業論文賞受賞者)

また長い歴史の中で、太平洋戦争時の空襲や阪神淡路大震災、新型コロナ感染症といった苦難に見舞われたこともしばしばありました。それらを受け止め、乗り越えてきた人の歴史が神大経済120年の歴史といっても良いでしょう。

ご寄附のお願い

新型コロナウイルス感染症拡大による学内外の環境の変化に対応するために、2019年度にスタートした120周年記念募金について、対象事業の枠組みを見直し、本学の行う研究・教育の進展、学生への各種支援、プレゼンスの向上、社会へのインパクトなどの点でより実効力の高い制度といたしました。
今後は下記の通り、“知”の創出、“人材”の育成、環境面の充実と向上、学生の修学にかかる各種助成や制度の充足などを対象としてまいります。従前の各種施設・インフラ環境の整備や維持・運営などは、「異分野共創研究教育グローバル拠点」構想の実現に向けた環境整備に関する事業のひとつとして、引き続き皆様からの温かいご支援を賜りたく存じます。