『資本主義はどこへ行くのか 新しい経済学の提唱』(PHP研究所、2009年2月)を刊行しました。私が出版社に提案した書名は『道徳金融のすすめ』でしたが、そこでは賀川豊彦の第三の道を論じています。賀川豊彦の著作の中から印象深かったものを記しておきます。
- 「然し今日の日本では、生産者に向つて尊敬を払はないと同様に、消費者に向つては全々敬意を払は無い。アダム・スミスが、その経済学に『各人の利己心で経済生活が成立する』と云ふ様なことを書いたものだからでもあるまいが、今日の人類社会の経済生活は、自由主義の範囲を飛び越えて殆ど反社会の行動にまで進んで居る有様である。それで、今日の日常生活を安定する為めには、社会が分業的の方向に進めば、進む程組合主義の下に生産者も消費者も合同せねばならないのである。」(『主観経済の原理』pp.244-245)
- 「私は、1923年9月1日の関東大震災の時、同志と共に東京本所区横川町付近の貧しい人人に、金融する為に1万円の金を貸して上げた、然し、その1万円の資本は、借りて行った切り、誰れも返へしに来なかった。それで私は、新しき組織を考へて、同志と共に、質庫信用組合を始めた。資本金はたった3,000円。しかし今日では、それがだんだん大きくなって、近所の人々から、1,200万円を預り、650万円を板橋区の細民、向島区の細民諸君に金融することが出来ている。勿論営利が目的でないから、普通の質屋の4分の1の利息で貸している。質物は殆ど流した事がない。面白い事には、信用があると見えて、『昔10円借りて嬉しかったから、毎月10万円づつ積立貯金をさして呉れ』と申し込んで来る義理堅い電気屋さんもいる。1万円貸与へて、余り社会的効果を発揮し得なかったが、信用組合に組織変へして、数万名の人々に喜ばれ、真に無産者の友として、その日その日の配給品の買へない人々の金融を助け得る事を私達は喜んでいる。何人にも迷惑をかけず、何人をも搾取せず、貧しき人に対して出来るだけ多くの奉仕をしようと思った計画が、不思議に貧しき人々の支持を得て、二年近く運転していることは、その社会目的の純粋さに、多数の人が共鳴したとしか考へられない。かかる社会連帯意識性そのものが、神聖なる金融の基礎であると云はねばならぬ。」(『人格社会主義の本質』pp.75-76)
- 「即ち物質は人間を害するものでは無い。人間を害するものは人間である。」(『主観経済の原理』p.221)
- 「社会保険を大量に行ふ場合には、人格と人格とが互いに信頼し得る意識的結合を基礎にし、デンマークの健康保険の様に小地域における組合の各自が互ひに知り合ひ、組織と人格とが遊離しない様に努めねばならぬ。社会保険を一種の恩恵と考へ、分取り主義的に取扱ふならば、社会保険制度はすぐにも崩潰してしまふ。国営保険を運営する場合でも、この人格的基礎を忘れる場合、危険率は増し、払込みは悪くなり、経営費に多くかかり、全く社会保険の本質を失ふに至る。(中略)国営主義の社会保険を運営する人々は、この経済の人格的基礎を忘れ、機械主義に陥り、ただ数的に確率計算だけ済めば、それで成功していると思ふ様になる。(中略)経営者も勤労者も政府も社会人も、四者とも総べて連帯的に友愛精神に目覚めなければ、決して社会保険の運営はうまく行かない。」(『人格社会主義の本質』pp.98-99)
- 「それは、『どれだけ儲けると善いか』と云ふ経済学や『どんなに儲けるか?』と云ふ経済学より『どんなにして生きるか?』『どうすれば面白く労働が出来得るか』と云ふ経済学に移らねばならぬのである。」(『主観経済の原理』p.141)、「マルキズムでは生活が出来るならば労働時間も出来るだけ少なくし、遊ぶ時間を出来るだけ多くしやうと云うて居る。然し之は創造の世界を予想しない唯物的快楽主義的思想で有つて、社会連帯の新理想主義から云へば、人間は自己の好む労働であれば−労働は神聖であり、人間は創造する為めに生れたのだから−社会が改造されて、他人の為めに働くことは自分の為めに働くこと、自分の為めに働くことは他人の為めに働くことと同じと云ふことになれば、資本の持主が組合であらうが、国家であらうが、それは問はず、一生懸命に働くと云ふ覚悟が無ければ駄目である。」(『主観経済の原理』p.213)
- 「労働問題は、結局の処いやいや働くか、面白く働くかの問題に帰着する。碁や将棋を指すものは、夜が明けても止めるとは云はない。好きであるからである。労働も好んでやるなら、8時間労働を10時間に延ばされても、いやだとは云はないであらう。トーマス・エジソンは、電燈の発明をする時2週間も労働を続けて寝なかったと云ふ。面白ければ、休息することすら、いやがるものである。機械文明の出現と共に、分業組織が取入れられ、流れ作業が採用せられ、能率経済が人間の心理作用を機械的に利用する様になった結果、肉体的に疲労する事は少ないが、心理的に非常な緊張をせざるを得なくなった。それが面白くて緊張するなら能率も上るけれども、いやいや労働するのでは、1分でも早く切りあげて遊びに行きたい気になる。では遊びに行くと云ふのは、どう云ふ心理であるのか?それは自分の目的に合致した生理的或ひは心理的動作を遊戯と云ふのである。ベース・ボールにしても、フットボールにしても、それらは遊戯であっても、肉体労働としてはとても激しいものである。あれだけ工場で労働すれば能率はうんとあがる。しかるに、工場労働は面白なくて、運動場の遊戯の面白いのは何故であらうか。そこには、只一つの差がある。スポーツには自己目的の線に沿ふものであり、工場の労働は食ふ為のいやいや働くと云ふ合目的性否定の作業だからである。」(『人格社会主義の本質』p.279)
- 賀川:生産性を向上させるための工夫として「労働者の個性の目的に合致すること」「その作業を、自治的に出来るだけ行わせること」「自分に適することを最も面白く行わせること」「仕事の成績がぐんぐん上がって結果が目に見えるようにして行わせること」「作業に変化があり、あまり単調でないこと」「機械力、動力、運輸力を最大限度に利用して、労働者の生理的心理的疲労感を最小限度に低下させるようにすること」「最も健康的な衛生上に注意を払うこと」の7点を挙げている。
- 「貧民階級をなくしてしまおうと思えば、今日の慈善主義では不可能である。(かえって)慈善主義は貧民を常に増加させる傾向がある。」(『精神運動と社会運動』)「貧民窟にも自我はあります。同情されることを好まない自我があります。同情は貧民を侮辱して居るのです。」(『地殻を破って』p.180)「慈善と云ふものは必しも徹底した政策で無いかも知れぬ。資本家が自己を防衛する為の逃げ道であるかも知れぬ。」(『主観経済の原理』p.139)
| 英米型資本主義・日独型資本主義 vs. 道徳経済 |
| 英米型資本主義 |
日独型資本主義 |
道徳経済 |
| モノ中心主義 |
モノ中心主義 |
モノと精神の両立 |
| モノ重視 |
モノ重視 |
人格の尊重 |
| ロボット人間 |
ロボット人間 |
生身の人間 |
| 無限の欲望 |
無限の欲望 |
欲望の整理(抑制) |
| 個人 |
国 |
人間精神 |
| 個性(自我) |
非個人性(無我) |
人間性(我の社会化) |
| 自由放任主義 |
強制された連帯 |
自由意志に基づく連帯 |
| 個人利己心 |
団体利己心 |
他者の痛みへの理解(共生) |
| 精神的自立 |
精神的自立 |
精神的密着性 |
| 競争 |
結託(管理された競争) |
協力(相互扶助) |
| 市場万能主義 |
市場の管理 |
経済の道徳的運営 |
| 適者生存 |
自己抑制(愛国心) |
互助友愛 |
| 絶対的道徳基準(宗教) |
世間に対する恥 |
社会的道徳(社会連帯意識) |
| 社会福祉 |
社会福祉 |
人間福祉 |
| 謝罪 |
謝罪 |
赦罪(罪をゆるす) |
| おいしく食べる |
おいしく食べる |
楽しく食べる |
| 食べるために働く |
食べるために働く |
楽しく働く |
| 上からの視点 |
上からの視点 |
下からの視点 |
| ホモ・エコノミクス |
ホモ・エコノミクス |
ホモ・ソシオロジクス |
| 民間セクター(民) |
政府セクター(官) |
NPO・NGO(公) |
| 民間銀行 |
政府系金融機関(財投) |
倫理銀行(協同組合組織) |
| 直接金融 |
間接金融 |
道徳金融 |
| 営利目的のお金 |
営利・福祉目的のお金 |
自由意志のあるお金 |
| 金融CSR |
金融CSR |
金融CSRとCSR金融 |
| 他人の世話にならない |
他人の世話にならない |
他人の世話にならない(自立) |
| 他人の世話をしない |
他人の世話をしない |
他人の世話をする(互助) |
| 見返りを求める |
見返りを求める |
見返りを求めない(自制) |
| (滝川好夫『資本主義はどこへ行くのか 新しい経済学の提唱』からの転載) |