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功労者表彰記念講演会「日米の巨大銀行から学んだこと」

只今は身に余る栄誉を賜りありがとうございました。卓越した素晴らしい諸先輩がたくさんおられる中で、大変僭越なことで身の引き締まる思いであります。わが母校の経済学部からかかる表彰をいただくことは大変光栄であり、喜んでお受けしたいと思います。
本日は受賞に当たり謝意の表明に替え、私が卒業以来50年に亘り勤務した日米のNO.1バンクで得た体験、経験等をもとに”日米の巨大銀行から学んだこと“と題して、日米の銀行を取巻く諸情勢、日米銀行の比較、今後の課題等について日頃思うところの一端をお話し申し上げたいと思います。皆様の何らかのご参考になれば幸いであります。
さて、私の社会との本格的なかかわりはこの神戸大学経済学部から始まったといえます。
思えば今から54年前、1963年の春、神戸大学合格発表の日、阪急六甲からの坂道を駆け登り、息を切りながら合格を確認し、その足で転ぶように山を下り朗報を母親に伝えに帰ったことを今でも鮮明に思い出します。当時我が家は父親の事業の失敗で家計が火の車の中、私の大学進学を後押してくれた母親でしたが、一昨年100歳の天寿を全うしました。

私は、1944年、神戸に生れ、明石の神戸大学付属幼稚園に始まり、小学校から高校まで神戸と名がつく学校で学びました。それだけに神戸大学入学への思いは人一倍でした。卒業後は東京および海外生活が長くなりましたが、神戸に対する思い・郷愁は持ち続けており、今でも神戸弁訛りを誇りに思っております。
東京に暮らしておりますと、神戸も、大阪も、京都も十羽ひとからげで関西人という扱いになるのですが、心の中では“神戸はちょっと違うよ”と抵抗を試みてきました。
私の父は一介の商人でした。おやじからはサラリーマンになるな、人に使われるなとよく言われておりました。
しかしながら1967年、東京銀行(以下東銀と呼びます)を就職先に選んだ日から私の生活環境は神戸から東京に、また海外にと一挙に変わりました。
小学校卒業時の寄せ書きに将来の夢として”貿易会社の社長”とませたことを書いていました。
子供心に神戸の持つ独特のエキゾチックな国際都市の雰囲気と神戸港を通した貿易を結び付けていたのだと思います。
我が国唯一の外国為替専門銀行であった東銀を選んだのもその夢の延長であり、ここしかないという思いで東銀の門をくぐった記憶があります。

ここからの人生はいわゆる国際業務・国際金融一筋の50年でした。
東銀が1996年三菱銀行と合併して東京三菱銀行となり、また2006年にはUFJ銀行と合併、三菱東京UFJ銀行(以下MUFGと称します)となりましたが、結局同行で1967年入行以来40年間お世話になり、その間米国、英国の海外勤務が通算16年に及びました。
2006年春、三菱東京UFJ銀行退任後、ヘッドハントされてJPモルガン―チェース銀行の日本の現地法人、JPモルガン証券で10年間過ごしました。年齢的には62歳から72歳までの10年でした。62歳でハゲタカとか猛烈外資とか言われた世界に飛び込み、米銀の投資銀行業務主軸のJPモルガン証券の社長・会長としてよくやれたものだと今更ながら驚いています。
MUFGは邦銀最大、またJPモルガンは世界NO.1の銀行です。日米でそれぞれNo.1の両行で50年に亘り仕事ができたことは大変ラッキーでした。

合併前の東銀は本店が東京、かつ主たる業務エリアが、国際業務、海外という性格上企業カルチャーは当時からwesternizeされ、文字通り自由闊達な社風でした。社内は上司も含めすべて“さん”付けで呼び合い、上下関係は極めて民主的でした。社内の人間関係で苦労した経験はなく、世のサラリーマンがよく赤提灯で愚痴をこぼす姿も東銀では見かけることは少なかったと思います。
東銀は戦後、1880年創業の国策銀行であった横浜正金銀行の資産・伝統等を継承した極めて特異な企業でありました。横浜正金銀行は当時CITIBANK,HSBCと並び世界3大銀行の一つでした。横浜正金銀行時代は飛行機もなく、国際通信網も整備されておらず、業務連絡はもっぱら電信とか郵便などに限られていました。したがって、当時の横浜正金の海外支店の業務の多くは現地に権限委譲され、現地に任せるというかそうせざるを得なかったのです。かかる経緯・背景が自主独立の精神などを培ったように思います。

また、人間関係も西欧文化・風土に早くから触れることで自由闊達な空気が醸成されたのだと思います。
そういう東銀の横浜正金以来の伝統的企業カルチャーは私の性格にもピッタリで今でも東銀に入ってよかったとその幸運に感謝しています。後ほど触れますが、合併後のMUFGにもかかる東銀のカルチャーはシッカリ息づいているように思います。
一方JPモルガンも1799年に創業した老舗でした。“Doing only First Class Business, and that in a First class Way“(一流の仕事を一流のやり方で)というモットーに象徴されるように、顧客本位のきわめて開かれた企業です。JPモルガン―チェースはそれまでのJPモルガン、チェースマンハッタン、ケミカルバンク、バンクワン等東部の主要行が2000年前後に統合され誕生した米国最大の銀行です。
資産規模は現在、なんとMUFGがトップの300兆円ですが、JPモルガンが第2位で続いています。

JPモルガン(当時はモルガン商会と称していたが)の日本との係りあいは日露戦争以降に始まりますが、1923年の関東大震災でのモルガン商会の貢献が特筆されます。震災直後に震災復興のために日本政府が発行した震災手形1億5千万ドルをJPモルガンが主幹事として引き受け全額海外投資家等に販売したのです。当該債権はその後日本政府によって全額返済がされましたが、巨大地震で傷んだまさに発展途上の当時の日本国に対して巨額のリスクをとり支援をしたJPモルガンの実績は今も語り継がれているわけです。今思えばよくもあの状況下で日本に対し1億5千万ドルという巨額リスクをとったものだと思います。これは日米開戦の導火線となった満州事変の15年くらい前のことです。当時のJPモルガンのCEOであったラ・モントと時の日本銀行総裁井上準之助との個人的信頼関係さらには東銀の前身である横浜正金銀行との信頼関係がこの救済を実現したといわれています。人的信頼関係が事を動かすということは今も昔も変わらないようです。

さて、1996年東銀が三菱と合併したが、東銀の自由闊達でやや特異なカルチャーは当初は組織の三菱といわれた三菱側に違和感をもって受け止められたようです。しかし合併後20年になりますが、冷静に結果を見ますと企業カルチャーというものは“良貨が悪貨を駆逐する”という原理が機能しているようにおもいます。今では東銀の良いところと三菱の良いところが見事にハイブリッドされているように思えます。合併当初は、やはりお互いカルチャーの違いなどに戸惑い、また、合併の政治的思惑もあり激しくいがみ合うこともありましたが時間の経過とともに統合後の新しいカルチャーが芽生えると共に、意外に双方の合理的なもの、筋の当ったものが新銀行に定着していきました。
当初は政治的・戦略的色彩の濃い合併といえども長期的には企業存続の為の経済合理性、あるいは目に見えない知恵のようなものが働くものだと痛感しています。

ここで東銀のカルチャーの醸成の一端ともなった同行のカリフォルニア現地法人ユニオンバンクについて少し触れたいと思います。現在ではユニオンバンクを含め三菱東京UFJ銀行の全米オペレーションの規模は外銀トップで全米10位に接近しつつあります。その規模に至る歴史的端緒はこのカリフォルニアでの小さな物語から始まります。お話ししたように東銀は唯一の外国為替専門銀行であったことから、戦後早い時期から海外ネットワーク作りに注力しました。その中でもユニオンバンクはわが国でも数少ない大型買収の成功例として今も語られています。しかし、それにはそれに先立ち、その成功の基盤作りとして並々ならない先人の苦労がありました。
戦後まだ右も左もわからない1953年に東銀は米国カリフォルニア州に小さな現地法人・加州東京銀行を設立しました。当初は3人でスタートしたようです。戦後間もない時期でもあり、現地日系アメリカ人のサポートを得て営業にこぎつけたようです。その後1967年、加州サンディエゴにある地銀を買収、邦銀として初めて米国でのリテールバンキングに参入したのです。幸いこれが大成功し、California First Bank と名称変更し順調に発展、そして1988年東銀はまさに社運をかけ、加州第3位のユニオンバンクを買収、California First Bankと合体し新銀行の名前もユニオンバンクとしたのです。戦後進出してから30年という地道な努力のおかげでこの大型買収は成功したのです。その後三菱銀行が現地で保有していたバンクオブカリフォルニアと合併し、ユニオンバンクオブカリフォルニアが誕生、従業員は1万人を越え店舗数350、全米20位の米国地銀に成長、私はそこでCEOを4年やり、その間1999年にはニューヨーク上場を果たしたのです。ニューヨーク上場は1953年に東銀が加州に進出した時からの念願であったわけですが、まさにその先人の夢が叶ったのです。
上場取引開始日、ニューヨーク証券取引所でCEOとして市場開始ベルを押したときの感動は今でも忘れません。

最近わが国でも多くの企業が海外で大型買収をやってきましたが、残念ながら成功例は極めて少なく事後撤退のケースが山のようにあるのはご承知の通りです。ユニオンバンク買収成功の要因として2点あげられると思います。①まず述べたような買収に至るまでの営々とした地道な現地化、ローカライゼーションの努力があったということ、第二は②現地経営の主体性を尊重し、本社の意向、利害を押し付けず、むしろ東銀本体がユニオンのカルチャーに合わせようという経営努力がなされたことがあげられます。

さて、ここでJPモルガン・チェースという米企業と日本のMUFGの企業カルチャー、経営手法や経営哲学などの相違点などについて少し触れたいと思います。両社に歴然とした違いがある一方で当たり前ですが案外共通している点も多いのです。

まず、両者を比較する場合にリーマンショックに至るまでの日米金融界の経緯の違いを見ておく必要があります。
日本の場合リーマンショックに先立ち、その10年も前、1997~2003年にバブル崩壊後の巨額不良債権を中心とした日本版金融危機が発生しています。その時期に抜本的な金融改革が行われ、厳しい規制が導入されると同時に相互救済的色彩の濃い銀行統合が進められ、現在のメガバンク3行、りそな銀行等が生まれたことはご高尚の通りです。このように、邦銀は2008年のリーマンショックを迎える10年も前にすでに厳格なリスク管理など慎重経営に移行されていたことからリーマンショック的な損失、ダメージは欧米比軽微であったということです。
勿論、一方でその間いわゆる貸し渋りとか、サービスの低下等世間の批判にさらされる状況が長く続いたことは記憶に新しいわけです。

一方JPモルガンを始め米銀、欧州銀は特に1980年以降2008年に至る間、金融の自由化、金融規制緩和、グローバリゼーション、超金融緩和政策の中でハイリスク・ハイリターン的資産の積み上げを含め規模の利益、営業基盤拡大を目指した巨大合併、合従連衡、また投資銀行業務・グローバルビジネスに傾斜し積極経営を展開したわけです。それらの超積極経営によるリスクが飽和状態に至りつつあった矢先2007年後半あたりからの、米国不動産市場の悪化に端を発したサブプライム問題を引き金にクレジットクランチ状態が発生、その悪循環の中で、未曾有の金融危機に突入していったわけです。

かかる中でJPモルガン・チェースは相対的に盤石な財務基盤・営業基盤に支えられリーマンショックの影響も比較的軽微で、いわば勝ち組として見事に危機を乗り越えたのです。なぜJPモルガンは危機の影響が少なかったのかはいろいろ言われていますが、私は、経営トップのバランス感覚とリスクをかぎ分ける感性のようなものが企業カルチャーとして流れていたことが大きな理由だと思っています。この辺りは組織的なリスク管理やガバナンス体制がしっかりしていたということもありますが、むしろ一人のCEOの感性と力量に負うところが大きかったといえます。JPモルガン・チェース現CEOのジェイミー・ダイモンは現在全米で最も尊敬を集めている経営者と
いわれています。私も10年前にジェイミーと出会いました。以来信頼関係を築いてきました。彼は何事にも自分なりの見識、意見をもっていますが、同時に異なる意見を持っている人の意見はよく聞いて自分の考え方を修正しながらあるべき着地を求めるスタイルです。自分とは異なる意見、考え方を持っている人を見つけ出し、かぎ分ける先天的能力があるように思いました。また、彼はよく見ているといい意味で好き嫌い・好みがはっきりしていて、重要な判断も彼の好き嫌い・好みで決められていることも多いわけです。しかし彼の好き嫌い・好みは長年の間に培われ研ぎ澄まされた感性のようなもので、これまでの厳しい経営判断のプロセスで彼の感性の正確性、妥当性が検証されてきているといえる。そこが高い評価を得ているトップ経営者の所以ではないかと思います。米国の優秀なCEO・経営者の報酬が大きいのはそれなりの理由があると思います。

もう少し、日米銀行の経営スタイルや企業カルチャー等について具体的な相違点、共通点などについてお話をしたいと思います。

①銀行の公共性に対する意識の問題です。わが国では、特に日本の戦後復興、高度成長の中で資金の再配分機能や産業育成という見地から銀行の収益性よりも社会的役割とか公共性がより前面に出、結果として銀行の存在感を高めていったといえますが、米国では金融資本主義の中軸として金融機関がリーダーシップを発揮してきた経緯から彼らの収益マインドは高いけれども、その分社会的使命・役割といった意識は日本に比べれば弱かったのではないでしょうか。しかしこの点はリーマンショック以降、米銀は厳しく世論の批判に晒されたこともあり、社会的貢献、役割といった公共的役割の向上、その改善策が経営の極めて重要テーマとなってきているようです。

②次に収益に対する日米企業の執着度の違いが一体どこから来ているのかといつも考えさせられます。(結果として、収益力、株価の格差に明確にあらわれているのですが)、分かり易く言えば―狩猟民族対農耕民族というか基本的なネイチャーの違いあたりに行くのかなーという思いです。

③次に、我が国の終身雇用的雇用慣行とトップの人選、またそれに関連した経営の短期指向、長期指向の問題です。トップ人事はMUFG、JPモルガンに限らず日米いずこでも悩ましいといえます。米国の場合CEOはヘッドハントされるケースが多く、かつその選定も社外取締役主導で進められています。また日頃、CEOは社外取締役などの監視の中で実績や株価、そのリーダーシップの巧拙等が厳しくチェックされる、その中でさらにはインセンティブ制度などもあることからCEOとしてはどうしても短期で実績を上げようとする傾向があります。少なくとも後任CEOの時代の事まで考えて経営をしているとはとても思えません。これらの弊害を軽減すべく近年長期インセンティブプランなどが導入されてきており、従来よりは長期的視点、継続性にも配慮されるようになってきていることは事実です。継続性といった観点からはトップ人事のサクセッションプランなどが制度として定着しつつありますが、特に優秀な経営者の長期政権が続くと後任の育成も手薄となりがちです。サクセッションプランも実態は未だうまく機能していないようです。
日本でもオーナー企業経営者の後継者問題等には同じような現象が出ているのではないでしょうか。
日本の大手上場企業では経営のプロというよりは終身雇用の中で永年の功労者が社長に昇格するケースが多いのではないでしょうか。経営のプロというよりは会社をよく知った人格者が社長に登用される傾向が強いように思います。
そして4年か6年でほぼ交代していくので自分の時代の短期的業績よりは長期的な企業の継続性にその経営の重きが置かれるように思います。
この辺りが日米の企業のパーフォーマンスの違いとして出ているわけですが、どちらが良いと決めつけるのは難しいわけです。

④次に競合他社横並び意識の問題ですが、日米でその違いは顕著といえます。日本は国民性もあるのでしょうが、業界内の横並び意識が案外強いといえますし、同業他社比較を重視する傾向があります。一方米国は早くからANTI-TRUST、独禁法の精神が導入されていたことも理由の一つだと思いますが、同業者との横並び意識はあまり強くありません。日本の場合どこか一社が問題を起こすと同様のケースがほかでも発生ケースをよく見かけますがこれらもそういう土壌に起因しているのではないでしょうか。

⑤次に計画と実績に対する考え方の違いです。JPモルガンCEOのジェイミーダイモンは“一流の計画を作るよりは2流の実行力で”とよく言っている。日本は中長期の事業計画を緻密に策定することが好きです。時には次期社長が担う期間に至る計画を策定することもあるが、米国では考えられないケースだと思う。

しかしながら、こういった日米の経営に対する姿勢の違いも2008年の未曾有の金融危機、いわゆるリーマンショックを経て米銀の経営姿勢は大きく変わってきており、大局的に見ると日米の銀行の経営哲学なり、経営手法に近似性が目立ち始めていると思います。

すなわち、リーマンショックにより米国では金融システムの維持と金融機関救済の為に巨額の公的資金が投入され、結果としてリーマンを除くすべての金融機関が救済されたわけです。その一方ですさまじい銀行批判が起こり、また議会、金融当局は今後二度と公的資金による銀行救済はしないとの覚悟の下、厳しい金融規制(ドットフランク法)と共に銀行のリスク管理、行動基準の厳格化、ストレステスト、LIVING WILLなどを通した当局の管理監督体制の強化、高度化などを実施したのはご高尚の通りです。いわゆるToo Big To Fail 問題です。これらの具体的対応として

*ハイリスク・ハイリターンビジネスから健全化
*自己資本比率の改善と資産規模の圧縮
*コンプライアンス、行動基準の適正化
などがあげられます。その結果、例えばMUFGとJPモルガンの収益力の違いをみると金融危機前ではROEベースで8%対23%でしたが、最近では6%対13%あたりに縮小してきている。

欧米銀行はグローバル、ハイリスクビジネスから伝統的、自国内ビジネスへの回帰を徐々に進めており、この点でも日米の相違性が以前よりは縮小来ていると思います。
また厳しい銀行批判の中、米銀の内部告発制度等にも支えられ、ここにきて行動基準、コンプライアンス、あるいは社会的使命、社会還元といった意識も大きく改善されてきている。

しかしながら、依然厳然とした大きな違いが残ってとすれば、やはり収益に対する執着度の違いと変化へのスピード感の違いにあるといえるのではないでしょうか。もちろん、どちらが良いとか悪いとかではなく国の生業の違いを反映したところもあるし、日本人がまねようとしてもできない領域もあるでしょう。
資産規模ではMUFGの方が大きいにもかかわらずこの収益格差、株価格差はグローバル競争を続けていく以上、看過できないレベルまで来ているように思う。収益性改善は巨大銀行の大きな課題ですが、特にグローバルビジネス展開を標榜する日本のメガバンクにとっては避けて通れない重要課題ではないでしょうか。

日米の経営環境の特殊性はいろいろあるにせよ、少なくともグローバル市場で競争していく場合にはまずその違いを認識したうえで、このギャップを限りなく近似させていくことが望ましいように思います。
さて、ここで私が直近まで働いた日本における大手外国金融機関、いわゆる外資について少し触れておきたいと思います。彼らは欧米大手金融機関の日本の支店とか現地法人が主体です。私が社長・会長をしていたJPモルガン証券株式会社もその一つです。JPモルガン証券は現在人員が約1300人、資本金は1500億円程度で他の大手外国金融機関の出先も似たり寄ったりの業容です。いずれも実質、本社の100%出資です。日本では外資、外資といってやや悪者扱いのニュアンスがありますが、外国資本がマジョリティないし高い出資比率を持っている日本企業は、ソニー、三井不動産、オリックスとかキャノン等たくさんありますし、今や日本の企業株式の約30%は外国人投資家が保有しているわけですから、海外から進出している企業だけをとらえて外資系企業という言葉は必ずしも当を得ていないと思っています。

さて、外国金融機関の出先は日本でいかなる営業を展開し、また日本の金融システムにいかに貢献しているのでしょうか。
ご承知の通り日本は金融・銀行先進国です。すでにメガ3行を始め我が国の金融システムは確立したものがあります。本邦に進出している外国系企業に対する通常銀行取引などはほとんど日本の銀行が提供しています。したがって、われわれ外国金融機関の出先がやれることは限られているのです。本邦で円建ての預金・貸出・貸出業務・送金などは外国金融機関に全く競争力はなく、とても日本の銀行にはかなわないわけです。
従って、結果として日本の銀行と差別化できる分野が中心となり、具体的には投資銀行業務・資産運用業務等が中心になっています。
即ち、M&A 投資アドバイサリ―業務、海外投資家への販売を目的とした株式、債券の引き受け販売、債券、株式、為替などのトレーディング業務等が中心です。
外資の場合、どうしても収益目線が高いので比較的大口取引、収益性の高い取引にフォーカスしています。邦銀メガバンクの証券子会社や証券会社も同様業務の機能を有していますが、一般的には海外投資家とのネットワークはまだ十分でなくまた海外金融商品の取り扱い機能も十分ではありません。ただこの辺りの日米格差も日本のキャッチアップが着実に進んできているように思います。三菱UFJモルガンスタンレー証券は三菱UFJと米国投資銀行モルガンスタンレーとのジョイントベンチャーですが、国内企業との強力なリレーションを武器にその競争力を高めてきています。

一般的に外国金融機関の海外でのビジネス機会は進出先の地場金融機関の成長、高度化の中で縮小傾向にあるといえます。まして進出先経済の成長鈍化などの場合には収益機会も減少することからさらに
加速されるといえます。今アジアでそんな動きが顕著になりつつあります。

いろいろお話をしてまいりました。
最後になりますが、これら巨大グローバルバンクの今後の課題と戦略転換の必要性について整理してみたいと思います。

まず彼らを取り巻く環境変化についてですが、顕著なのは
①先進国の低成長と資金需要の低迷
②高齢化・少子化
③新興国の成長鈍化とグローバリゼーションの踊り場入り
④金融技術の高度化と他産業の参入
⑤巨大化、複合化する中でのコンプライアンス、ガバナンスコストの上昇
⑥顧客ニーズの高度化とワン・ストップショップの限界などなどです。

かかる中、これまでの世界のグローバルバンクによる規模の拡大、営業基盤の強化戦略の有効性は終焉を迎えつつあり、グローバルバンクは戦略の抜本的見直しを迫られていると思われます。
見直しの方向性としては

①グローバルビジネス、証券化ビジネスなどへの依存体質の見直しと自国市場での収益力向上
②顧客ビジネスへの回帰
③規模の縮小、組織の簡素化―ガバナンス体制強化、経費削減
④収益源泉の抜本的見直し―伝統、既存コアビジネスの収益策

当面は景気の回復の中でコストカット、信用コストの低減などを支えに、順調な業績を続けられるものとみているが、かかる時期にこそ将来を展望し抜本的な戦略見直し、スリム化を進める必要があると思います。また同時に巨大化したグローバルバンクのコンセプト、存在が果たして国民経済的にまた、顧客ニーズの多様化、高度化の中で依然有効性を持っているのかどうかなどが十分吟味されるべきではないでしょうか。

いずれにしましてもこれから世界の巨大銀行を取巻く環境、情勢は厳しくなり、一層激動の時代を迎えているのではないかと思っています。
これから先、経営環境がさらに難しくなる時機に、敵前逃亡ではありませんが、私はこの世界からRETIREできたわけです。これも私のラッキーな人生の一部かもしれません。とはいえ私の働いた50年も結構山あり、谷ありで遣り甲斐のある50年であったと思っています。本当にありがたいことです。
本日はかかる賞をいただき、このように皆様にお話をさせていただく機会をいただき改めて御礼申し上げます。

ご清聴ありがとうございました。

                   2017年11月17日 元J.P.モルガン証券会長 森口 隆宏 氏

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